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雨のパレード という人たちの「stage」という音楽ビデオ。
最近の音楽ビデオの中では、本気でかなりいいと思ったもの、です。
音に関しては、たくさんの人がたくさんの感想をお持ちでしょうから、映像的な話をすると…
こういう抽象的な映像を、音に当てる勇気に拍手、ですね。
このスロー感も、いまの技術でないとここまで表現力豊かに行けないものですし。
なにより、音が聞こえて来る、そういうビデオが好きだなー。
なんでそういうことを言うかというと、最近のものでは、
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映像作りとは、「アイデアの『元』になっているものからは、逃げづらい」ということが証明されている。
大抵が、
みたいなこととか、そうでなければがっちりドラマ仕立てか!みたいな「要望が多いのでそうなる」わけなんですが。
そこに、有名俳優や売り出し中の女の子を入れるか、
ちょい下手だけど雰囲気でボーカルの人が演技風に振る舞うか。
そうでなきゃだめなのか?
とおもったのです。
このanderlust、ドラマなのかイメージシーン連続なのかわからないのですけど、要は…
これですよね、ウォン・カーウァイ監督で、クリストファー・ドイルが撮った…。
ストーリーがあるようでないような、色使いがビビッドで、手持ちで不安定な、演奏シーンもドキュメンタリーのタッチがあったりして。
あ、こんな映画があったよねー「恋する惑星」。
…と、プロデューサーかディレクターが言って、答えた。
みたいな打ち合わせが目に見えるなあ。
ドラマ仕立てのビデオって、よくオーダーされるけど、そこから逃げるもしくはドラm仕立てでおしゃれに、っていうと、たいていこうなるなあ。
ボーカルの子の背中にプロジェクション、というのは、いい感じでした!が…
(セクシーでした!)
もうちょっと「『元』から逃げれば」いいのにね。
…と言うことで言えば、やはり、冒頭の雨のパレードとか、今やこのラインの王道となった、
この人たちのビデオ、はいいですね。
前半の、ボーカルの人が見ている顔が、しつこく出ているところ、が、ぐっときます。はじめは「?」ですが、これを何度もやられると、意図に見えてくる。それが映像/編集のマジックの入り口なんですね。
後半演奏シーンは、「音を聞きたい人」への「サービス」、かな…?
ことほどさように、なんでもない絵が、並べ方で意味を持ってくる、それが「映画がモンタージュと言う形で発明した技法」です。
おそらく、文学がそれに憧れて「カットアップ」という技法を言い出した(と、勝手におもっています。そうでもないか)。
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カットアップ、を見直したい!
『ジル・J・ヴォルマン(Gil J. Wolman)は自身のレトリスムの創作の一環としてこの技法を発展させた。1950年代には画家・著作家のブライオン・ガイシン(Brion Gysin)が偶然の発見から完全なカットアップ技法まで発展させた。ガイシンは剃刀の刃で新聞を切る時、テーブルが傷つかないように新聞を重ねて置いた。作業が終わった時、ガイシンは下に敷いていた新聞が興味深い並置状態になっていることに気づいた。そこで故意に新聞の記事を切り分け、ランダムに並べ、出来上がったのが『Minutes to Go』という詩である。未編集・未変更のカットアップは論理的で意味の通った散文となっていた 』
(出展:Wikipedia カットアップ - Wikipedia)
奇しくもここに見られる「未編集」という言葉は、いまや「映像」にこそ似つかわしい言葉であるわけですが、要は「並べ方で意味が出る」ということ、それを追求するのが「映像作り」であると言えたりもするわけです。
もしかしたら、anderlustのビデオも、この「編集」の概念を思い直せば、もっとかっこいいものになったかもしれません。
おっと、そのことと、
「ユーザーが見てかっこいいとおもうこと、再生回数が増えること」とは、関係がありませんので、念のため。
では、ひきつづき SeeYour Music!
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