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ワンカット、は、音楽ビデオの基本!ということで…
ご紹介させていただきます。
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HARUHI さんの「banquet」
2016/11/25に公開されています。
ワンカットで押し切っており、それが売りだ!と、おっしゃっております。
舞台演出を意識しておられて、舞台そのものは、映像のように編集点が当然ないので、ワンカット!になるわけですね。
おっしゃってるように、見事にワンカットです。
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音楽ビデオにで、ワンカットの撮影って他にどんなのが…?
先だって、「ぼくのりりっくのぼうよみ」の「after that」で、ヒッチコックの「ロープ」等に代表される「擬似ワンカットつなぎ」(擬似、というのは悪い意味ではなくて、ワンカットに「見せる」ことがかっこいい!という方法論です)、のことをおはなししましたし、complexの「BE MY BABY」や、レピッシュの「RIN JIN」のように、カメラ位置を変えずに(編集はしてあれど」ワンアングル、場合によってはワンカット、というのが、音楽ビデオでもっとも「音楽を感じられる手法」と、思いますので、
この「banquet」も、そのエリアの中にあるビデオになっています。
しいていうなら…
2:45あたりの「幕の振り落し」が、唯一惜しい!かな…。 本人が「下位置」に行きすぎてて、幕が振り落とされてフレームアウト気味になることで、画面全体が一瞬「黒」になる(このビデオの他の箇所にもそう思えてしまうところがありますが)ので、そこが「編集点になり得る」と、感じさせる、その時点でちょっと惜しい!です。
現場でも「あー、もう一回…!?」って思ったかも。
でも、これを何回も頭から通しでやり直すのは相当大変。あらゆるところで「妥協」もあったことだろう…と、想像します。
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さて、音楽ビデオで「ワンカット」である必然性は?
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ボブ・ディランもやってたね
一体どこにあるのでしょう?
このブログでも以前紹介しました、
complexやレピッシュ、あ、それこそ今話題、ボブ・ディランもやってた「ワンカット」(的なもの)。
基本は、
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視点が動かない、もしくは視点の移動が見ている人にわかりやすい
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(最初から最後まで)共通して「出ているモノや人」がいる
かな。
人間の感覚として「変化していく方に目が奪われていく」というものがありますね。言い換えると、動かないものは、見えていても見えないような気がしてくる、ということで。
こういう性質を利用して、映像の圧縮は行われるわけです。あるフレームと次のフレームを比較して、変わってないところ、変わってなさそうだなーと判断できるところを、前のフレームの情報をそのまま使うことで、全体の情報量を減らす、みたいな。
音の圧縮でいうと、大きい音に隠れて聞こえなさそうーみたいなところを、削除しちゃう、みたいなことです。
映像が変わっていく、ということの、最高位が、「編集」である、と言えるし、その下の位は、動いたり変わったりすること、ですね。
記憶の中で「動かさないように感じさせる」という方法論ももちろんあって、それは例えば…
どんなに編集されたり絵が変わったりしても、あるいは時間が飛んでしまったとしても、
「同じものや人が、見ている人にわかるように出てくる」
というものです。
そうすると、印象的なその「モノや人」を飛び飛びにみることになり、過去の時間の物事を思い出したりして、見ている人が勝手に頭の中で飛び飛びの時間をつなぎ合わせて見始める。
これを逆手に取ったのが、ネタ振りとどんでん返し、ということになります。
話は逸れましたが、
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変わらないものがある、というのが、ワンカットでやる意味
ということなんですよ、きっと。
もしくは…
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音楽にちゃんと乗っかって、次はどうなるんだろう?と思わせる。
拙作の中で、上記項目の視点からすると「失敗」してるのが、
一方、歌や音楽の聴かせどころが、映像と一致しているということも、大事ですねー、ということで、まあ成功かな?と感じられるのが、
あたり。
そんな視点で、いろいろ見返すのもいいのかも、ですねー!
というわけで、See Your Music!
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